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高知地方裁判所 昭和28年(行)12号 判決

原告 川村竹松

被告 安芸税務署長

訴訟代理人 大坪憲三 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

双方の申立

一、請求の趣旨

(一)  被告が昭和二八年三月三一日付で原告の昭和二七年度分所得税の総所得金額を金四五三、三〇〇円と決定した決定のうち金一五九、二二二円を超過する部分を取り消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

旨の判決を求める。

二、請求の趣旨に対する答弁

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

旨の判決を求める。

双方の主張

第一、請求の原因

一、原告は農業及び自転車の卸(いわゆる中間卸)小売業を営んでいる。

二、原告の昭和二七年度分総所得金額は、次の(一)及び(二)の各所得金額の合計額一五九、二二二円である。

(一)  営業による所得金額は一四五、九二二円であつて、その計算関係は次のとおりである。

(1)  売上金額             五、四四九、九五六円

内訳、卸売高          三、七二九、六二六円

小売高          一、七二〇、三三〇円

(うち期末売掛金は五三二、七〇〇円)

(2)  年初たな卸高             八七六、四七五円

(3)  仕入金額             四、九七三、一七九円

(4)  年末たな卸高             八四三、六八五円

(5)  差引販売原価((2) +(3) -(4) ) 五、〇〇五、九六九円

(6)  荒利益((1) -(5) )         四四三、九八七円

(7)  必要経費               二九八、〇六五円

(8)  所得金額((6) -(7) )        一四五、九二二円

(二)  農業による所得金額は一三、三〇〇円である。

三、しかるに、被告は、昭和二八年三月三一日付で原告の昭和二七年度分の営業による所得金額を四四〇、〇〇〇円、農業による所得金額を一三、三〇〇円と決定し、その頃その旨原告に通知した。原告は右決定を不服として同二八年四月九日被告に対し再調査の請求をしたところ、被告は同年七月一〇日付で原告の右請求を棄却する旨の決定をした。原告はさらに同月一五日高松国税局長に対し審査の請求をしたところ、同局長は同年一〇月二八日付で原告の右審査請求を棄却し同月三〇日その旨原告に通知した。

四、しかし、原告の昭和二七年度分総所得金額は前記のとおり一五九、二二二円に過ぎないから、この金額を超過する被告の右決定部分は原告の所得を過大に認定した違法があり右部分は取り消されるべきである。

第二、被告の答弁及び主張

一、請求原因のうち、一の主張事実(ただし卸のうち高知市内より仕入れた分が中間卸であることは認めるが阪神方面から仕入れた分は普通の卸であつて中間卸ではない)、二(一)のうち、(1) の期末売掛金が原告主張のとおりであること、(2) ないし(5) (7) の各主張事実及び(二)の主張事実、三の主張事実はいずれも認めるが、その余の主張事実はすべて争う。

二、被告の主張

(一)  原告は自転車の卸小売業につき売上帳、仕入帳、当分帳等の各帳簿を備付けているが、これら帳簿のうち昭和二七年度分の売上高に関する記載は、次の理由により信用できない。

(1)  原告備付の帳簿は、青色申告者記帳の如き組織的に完備したものではなく、又複式簿記にもよらず、単に掛売に対する備忘的記録にすぎない。殊に現金出納を記録したいわゆる現金出納簿が存在しない。

(2)  原告の再調査請求並びに審査請求における収支計算と本訴における収支計算とを比較すると、売上金額で九九一、五八七円、仕入金額で九四八、七二一円、と著しく相違するのに対し所得金額では僅かに四二、八六六円の相違にすぎない。このことは、原告主張の如く単なる計算の誤りにのみよるものとは認め難く、原告の帳簿組織の不備、記帳漏れ並びに記帳の不明確性に根本的原因があるという外はない。

(3)  原告主張の収支計算における小売高一、七二〇、三三〇円(この金額は小売の現金収入金一、一八七、六三〇円に期末小売分売掛金五三二、七〇〇円を加えた額)のうちには、昭和二六年度分の期末小売分売掛金(昭和二七年度期首小売分売掛金)にして昭和二七年度に現金入金したもの及びなお未入金のものの合計四八二、七六七円(この金額は乙第三号証の卸小売分の期首売掛金合計九五〇、七〇二円から甲第一号証の卸売分期首売掛金合計四六七、九三五円を差引いた額)が昭和二七年度分の取引として計上されているからこれを同年度分の右小売高から差引くべきである(もつとも原告備付の各帳簿は系統的に記帳されていないから、右小売分売掛金四八二、七六七円のうち、いくらが昭和二七年度分の現金入金として甲第二号証の二に記入され、いくらが未入金として右期末小売分売掛金五三二、七〇〇円に含まれているか、その全額について指摘することは困難である。しかし確実に指摘できるもので、現金入金として甲第二号証の二に記入されたもの及びなお未入金のため期末小売分売掛金五三二、七〇〇円に含まれたものの合計は金四四四、八一九円である)。しからば原告の昭和二七年度分の小売高は一、二三七、五六三円となり、これに基いて同年度の収支計算すると、次のとおり三三六、八四五円の欠損(赤字)となる。

(イ) 売上金額                四、九六七、一八九円

内訳、卸売高             三、七二九、六二六円

小売高             一、二三七、五六三円

(ロ) 年初たな卸高                八七六、四七五円

(ハ) 仕入金額                四、九七三、一七九円

(ニ) 年末たな卸高                八四三、六八五円

(ホ) 差引販売原価((ロ)+(ハ)-(ニ)) 五、〇〇五、九六九円

(ヘ) 荒利益((イ)-(ホ))        三八、七八〇円(赤字)

(ト) 必要経費                  二九八、〇六五円

(チ) 所得金額((ヘ)-(ト))      三三六、八四五円(赤字)

このことは原告がすべての商品について仕入原価を切つて販売したこととなり実情に副わないばかりでなく原告主張の計算の根本が覆えるものといわなければならない。

(4)  原告は昭和二七年九月一三日東和林産興業株式会社から貸自転車料二三、〇〇〇円を受領しながらこれを帳簿に記入していない。

(5)  前述の如く原告の帳簿組織は完備したものではなく、又帳簿相互間に計数上の連絡がないから、現金売上について過少に記帳し或いは売上がなかつたものとして記帳を行なわない場合は、最早如何に帳簿を念査するもその誤りは発見し得ない。

以上の事実からすると昭和二七年度における原告の営業による所得金額は赤字となつて他の同業者に比較して著しく過少であり、しかも後記諸事実からしても赤字となる特段の理由は認められないから、原告備付にかかる帳簿の売上高についての記帳には多額の脱漏のあることが容易に推認できる。

(二)  そこで、被告は、原告の昭和二七年度分営業所得について調査したところ、次の諸事実が明らかとなつた。

(1)  原告は昭和三年以来高知県安芸郡安田町において、県道に面する同町の上位の商業区域で自転車の卸小売業を営み、その営業基盤は強固にして、昭和二七年当時において原告の外に働き盛りの長男昭(二二才)次男満昭(二〇才)雇人門脇秋芳(一九才)計四名が営業に専従し、その営業成績は同地区で最高であつたこと。

(2)  原告の世帯構成は原告、同人の妻春枝、長男昭、次男満昭、三男浩昭(高校生)、次女和子(小学生)、三女安子、原告の弟芳松の合計八名で、その生計費はすべて原告が負担しているが、原告の財源は営業上の利潤を主とし一反余の農地耕作による農業所得であるのに、原告は同町において裕福な生活を営んでいるから、原告主張の如き一年僅か一五九、二二二円程度の所得では到底その生活費を賄いきれないこと。

(3)  原告の営業用店舗は約一五坪で、その陳列場には一〇余台の自転車の新車及び部分品が陳列されていること。

(4)  昭和二七年当時における自転車業は、材料値上りのため価格は上昇していたが一方品質も向上したので、終戦後の品質粗悪な配給時代のものとの取換えが盛んに行なわれていて自転車業界は好況であつたこと。

(5)  原告は昭和二六年六月頃及び同二八年二月頃に家屋を買受け又新築していること。

よつて、被告は、原告主張の営業による売上金額を否認し、昭和二七年度における原告の営業による所得を推計により次のとおり計算した。

すなわち、原告が昭和二七年度に売りさばいた商品の原価(販売原価)は前記五、〇〇五、九六九円で、原告はこれを卸及び小売に応じそれぞれの利益を加算して販売している。而して、原告は被告に対し卸六割、小売四割の比率であることを自認していたから、卸及び小売の販売原価は

卸売分販売原価 三、〇〇三、五八一円

小売分販売原価 二、〇〇二、三八八円

合計      五、〇〇五、九六九円

となり、右販売原価に対し、卸売は原価一〇〇円につき通常生ずる利益八円、小売(修理による収入も含む)は原価一〇〇円につき通常生ずる利益三六円の各利益を加算して販売しているものと認められるから、卸及び小売の各売上高は

卸売高     三、二四三、八六七円

小売高     二、七二三、八六七円

合計      五、九六七、一一四円

となる。

従つて、原告の昭和二七年度分の営業による所得は、右売上高合計五、九六七、一一四円より争いのない前記販売原価五、〇〇五、九六九円及び必要経費二九八、〇六五円を差引いた残額六六三、〇八〇円に前記記帳漏れ二三、〇〇〇円(これは雑収入となる)を加算した

六八六、〇八〇円

である。

しからば原告の昭和二七年度における総所得は右営業による所得に前記農業による所得を加算した

六九九、三八〇円

である。そこで被告は原告の同業者の利益率、利益額等についても調査し実情に副いかつ課税の均衡を考慮した結果原告の同年度分の総所得金額を右所得の範囲内で

四五三、三〇〇円

と決定したものである。従つて被告の右決定は適法であり原告の請求は失当である。

第三、被告の主張に対する原告の答弁及び主張

一、被告の主張(一)のうち、原告が被告主張の各帳簿を備付けていること、(1) のうち原告の帳簿が青色申告や複式簿記の方式によつていないことは認めるが、原告の帳簿はいずれも正確に記載している、(2) のうち原告が被告主張の各請求において申立数額を変更したこと(たゞしその金額は争う)は認めるが、それは計算違いによるものである、(3) の主張事実は争う、もつとも昭和二七年度の期首売掛金九五〇、七〇二円が卸及び小売の各売掛金の合計であることは認める、(4) のうち被告主張の二三、〇〇〇円の収入のあつたことは認めるが、それは小切手による入金であつたので当分帳(甲第四号証の二)の昭和二七年九月一〇日の欄に記入しているから脱漏ではない、(5) の主張事実は争う、原告の各帳簿は真実の取引をそのまま忠実に記載したものである。同(二)の、(1) のうち原告が昭和三年以来被告主張の場所で自転車の小売業を営んでいること(原告が自転車の中間卸を始めたのは昭和二四年からである)及び同二七年当時その従業員が原告の外長男昭(二一才)次男満昭(一九才)雇人門脇秋芳(一九才)の計四名であつたことは認めるが、その余の事実は争う、(2) のうち原告の世帯構成、生計費の負担者及びその財源が被告主張のとおりであることは認めるがその余の事実は争う、(3) のうち原告の店舗が約一五坪であることは認めるが、その余の事実は争う、(4) の事実は争う、すなわち昭和二七年当時自転車類はむしろ値下りしていた、(5) の事実は争う、もつとも昭和二六年一月一〇日頃原告の長男昭が訴外南禎吉郎から代金一二〇、〇〇〇円で家屋を買受け、同二八年三月頃右昭が訴外安田町農業協同組合から二〇〇、〇〇〇円を借受け右家屋を改築したことはある、その余の営業による所得についての主張事実はすべて争う、すなわち、卸及び小売の割合は卸七割、小売三割である、又被告は原告主張の販売原価の総額に一定の利益を加算して原告の所得を算出しているから被告主張の脱漏雑収入は右所得に含まれているものであつて雑収入ではない。

二、原告が昭和二七年度において営業による利益をあげ得なかつたのは次の理由によるものである。すなわち、安田町には昭和二二年まで自転車業の同業者は一名(原告の実弟川村嬉)であつたが、翌二三年からは休業中であつた訴外東岡徳太郎が開業したため同二七年頃には同業者間の競争が激化した。そこで原告は自己の得意先を維持するため、やむなく原価を切つて販売することも少なくなく又貸自転車をするなどしたので営業成績は振わなかつた。又右実弟は右東岡の休業中同人の店舗を借りて営業していたが、同人の開業に際し店舗を返還して他に移転したので、原告は右実弟に自己の得意先の四割程度を譲つた。さらに、原告は、昭和二七年五月二七日安芸市森沢外科病院で盲腸の手術をし約四〇日間同病院に入院したが、手術後の経過が悪く同二八年四月頃まで充分な働きもできず、その間営業経験に乏しい右長男次男雇人の三名が営業に従事したので充分な利益をあげ得なかつた。

以上の次第であつて、原告備付の帳簿に基き収支計算をすると原告主張のとおりの所得となるから、被告の主張は理由がない。

証拠〈省略〉

理由

一、原告が農業ならびに自転車の中間卸(ただし阪神方面から仕入れた分がいわゆる中間卸であるという点を除く)及び小売業を営んでいること、被告が昭和二八年三月三一日付で原告に対し原告の昭和二七年度分の営業による所得金額を四四〇、〇〇〇円、農業による所得金額を一三、三〇〇円合計総所得金額四五三、三〇〇円と決定しその頃その旨原告に通知したこと、原告が右決定を不服として昭和二八年四月九日被告に対し再調査の請求をしたところ被告が同年七月一〇日右請求を棄却したこと、原告がさらに同月一五日高松国税局長に対し審査の請求をしたところ同局長が同年一〇月二八日右審査請求を棄却し同月三〇日その旨原告に通知したことの各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、原告の昭和二七年度分の農業による所得金額が一三、三〇〇円であることについては当事者間に争いがない。

三、営業による所得金額についての判断

原告の昭和二七年度における

(1)  年初たな卸高             八七六、四七五円

(2)  仕入金額             四、九七三、一九七円

(3)  年末たな卸高             八四三、六八五円

(4)  差副販売原価((1) +(2) -(3) ) 五、〇〇五、九六九円

(5)  必要経費               二九八、〇六五円

であること並びに原告が自転車営業について仕入帳、当分帳、売上帳等の帳簿を備付けていることはいずれも当事者間に争いがない。

原告は昭和二七年度分の営業による所得金額は一四五、九二二円に過ぎないのに前記のように四四〇、〇〇〇円もの所得を認定した被告の決定は違法であるから取り消されるべきである旨主張するのに対し、被告は原告の同年度分の営業による所得金額は六八六、〇八〇円に及ぶものであるから同金額の範囲内で原告の所得を認定した被告の決定には何ら所得を過大に認定した違法はない旨主張するのであるが、原被告の主張する所得金額に右のような差異を生ずる所以は専ら原告営業の売上高に関する相互の主張の喰違によるものである。

原告は原告備付の各帳簿は日々の取引をそのまま忠実に記載したものでそれに基いて収支計算をすると右主張の売上高になるというが、被告は原告備付にかかる各帳簿の売上高に関する記載は信用できない旨主帳するので、原告の右帳簿が果して所得認定の資料に供し得るものであるか否かについて以下順次検討する。

(一)  原告備付の各帳簿が青色申告や複式簿記の方式によつていないことは当事者間に争いがない。ところで、原告の全立証その他本件の全証拠をもつてしても原告が右営業につき日々の収支を明確ならしめるような現金出納を記録したいわゆる現金出納帳を備付けていることを認めるに足りる証拠はない。

(二)  原告が被告に対する前記再調査請求並びに高松国税局長に対する前記審査請求における収支計算と本件訴における収支計算との申立数額を変更したこと(ただし数額が被告主張のとおりであるかどうかの点を除く)は当事者間に争いがない。

而して成立に争いのない乙第三号証、同第一四号証によれば、原告の右再調査請求並びに審査請求における売上金額は四、四五八、三六九円、仕入金額は四、〇二四、四五八円、営業による所得金額は一二〇、三五六円(ただし乙第一四号証によると原告の計算には誤りがあつて、その所得金額は一〇三、〇五六円となることが計算上明らかである)であることが認められ、右各金額と本訴における原告主張の金額とを比較すると売上金額で九九一、五八七円、仕入金額で九四八、七二一円と相違するのに対し所得金額では僅かに二五、五六六円(右計算違いによる金額からすると所得金額では四二、八六六円となる)の相違にすぎないことが計算上明らかである。

(三)  被告は原告主張の昭和二七年度分小売高一、七二〇、三三〇円(うち期末売掛金五三二、七〇〇円)のうちには昭和二六年度分の期末小売分売掛金にして昭和二七年度に現金入金したもの及びなお未入金のものの合計四八二、七六七円(この金額は乙第三号証の卸小売の期首売掛金(1) 合計九五〇、七〇二円から甲第一号証の卸売分期首売掛金合計四六七、九三五円を差引いた額)が昭和二七年度分の取引として計上されている旨主張するので考えてみる。原告の昭和二六年度の卸小売分期末売掛金(昭和二七年度期首売掛金)の合計が九五〇、七〇二円であること、同二七年度分の小売高のうち期末売掛金の合計が五三二、七〇〇円であることについては当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第一号証、同第二ないし第七号証の各一、二、同第三五ないし第三八号証の各一、二、乙第三号証、同第一四号証、証人横井祥一の証言(後記信用できない部分を除く)、原告本人尋聞の結果を綜合すると、原告の昭和二六年度小売分期末売掛金の合計は四八七、九三五円(この金額は当事者間に争いのない右期首売掛金九五〇、七〇二円から甲第一号証の昭和二六年度分期末卸売分売掛金合計四六七、九三五円を、差左引いた残額)であること、右小売分期末売掛金四八二、七六七円のうち昭和二七年のいわゆる旧正月及び盆に集金した分は座入帳(甲第三五ないし第三八号証の各一、二)と金銭出納簿及び売上簿(甲第六、七号証の各一、二)に記入され、その時期以外に入金したものは当分帳(甲第三ないし第六号証の各一、二)及び右座入帳に記載したうえ、甲第二号証の一、二の帳簿に記入されて、いずれも昭和二七年度における現金取引として同年度分の右小売分売上高に計上されていることが認められ、さらに原告備付の各帳簿は系統的に記帳されていないので当分帳座入帳簿相互間に計数上の連絡が明瞭でないが右座入帳の記載方法及び昭和二六年度分期末売掛金にして昭和二七年に現金入金した分が同年分の小売高に計上されていること前記のとおりであること等を考え併わせると昭和二七年度の右小売分期末売掛金五三二、七〇〇円のうちには昭和二六年度の右期末売掛金にして昭和二七年度にもなお未入金の分が含まれていると認めるのが相当である。しからば、原告主張の昭和二七年度分小売高一、七二〇、三三〇円(うち売掛金五三二、七〇〇円)のうちには昭和二六年分の期末小売分売掛金四八二、七六七円が含まれていることが明らかであるから、右認定に反する横井祥一の供述部分はにわかに採用し難い。

ところで、当該年度における売上高の算定には前年度分期末売掛金(当該年度の期首売掛金)を加算すべきでないから、昭和二七年度分右小売高一、七二〇、三三〇円から前年の右期末売掛金四八二、七六七円を差引くべきである。しからば原告の昭和二七年度分小売高は一、二三七、五六三円となり、右小売高に基き原告主張の所得額を訂正算出すると、被告主張のとおり三三六、八四五円の欠損(赤字)となることが計算上明らかである。

右事実によると、原告は昭和二七年度の卸小売につき全商品に亘つて仕入原価を切つて販売したことになる。

(四)  原告が東和林産興業株式会社から貸自転車料二三、〇〇〇円を受領したことは原告の認めて争わないところである。そして当分帳(前掲甲第四号証の二)によれば、昭和二七年九月一〇日の欄に「二三、〇〇〇円東和林産受取」と記載されているが、前掲甲第二号証の二の同日の現金入金欄には右について何の記載もないことが明らかである。ところで前掲甲第二号証の二によれば、原告主張の小売高のうち現金売一、一八七、六三〇円(この金額は原告主張の小売高一、七二〇三三〇円から当事者間に争いのない期末売掛金五三二、七〇〇円を差引いた額)は同号証の二の合計額であることが計算上明らかであるから、右二三、〇〇〇円は昭和二七年度分の小売高に計上されていないことが明らかである。

原告は、昭和二七年度において充分の利益をあげ得なかつた事由として、(一)昭和二三年頃から同町内に同業者一名が増え同二七年頃には営業上の競争が激化したので自己の得意先を維持するため乱売、貸自転車をしたこと、(二)同業者である実弟に対し自己の得意先の四割程度を譲つたこと、(三)原告が昭和二七年五月二七日盲腸炎のため手術し約四〇日間入院したが、手術後の経過が悪く翌二八年四月頃まで充分な働きができなかつたので、その間営業経験に乏しい長男や次男等に営業を委したこと、等を主張する。右(一)については証人伊藤喜代作、同川村渉、同中島良久、同佐野栄俊、同東岡徳太郎、同川村富恵の各証言並びに原告本人尋問の結果を綜合するとなるほど昭和二七年頃原告が営業している安田町及びその近隣の町村で自転車業者が多少の乱売をしたことは認められるが、原告がどの程度の乱売をし又貸自転車をしたかについての具体的な主張立証がなく、右(二)について原告本人尋問の結果によれば、原告の得意先の四割程度を譲つたというのは、原告の実弟は原告の得意先にあたる人が自転車の注文、修理等のため実弟方を訪れた際に同人は必ず原告の店へ行くように言つて決して原告の得意先を奪うような事はしなかつたが、競争が激しくなるに従つて実弟が原告の得意先の人に対しても販売、修理等をするようになつたことを意味するものであることが明らかであるが、この程度のことは営業を営む以上通常あり得ることであるからこの事から直ちに後記認定の原告の売上及び利益等に影響を及ぼすとは考えられず、又右(三)について原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二七年五月盲腸炎のため手術し約四〇日間入院したが、退院後も手術の経過が悪く約二〇日間通院したこと及びその間の営業は長男や次男等に委せたこと、原告の長男昭は当時既に五年間位原告と共に営業をした経験を有していたこと、原告は毎年一一月から翌年三月一五日まで狩猟の免許を受けて四ケ月間位狩猟に従事していたが、その間の営業は長男や次男等に委していたことの各事実が認められ、右事実に後記原告の営業経験並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、かりに原告が原告主張のとおり盲腸の手術後同年中営業に従事できなかつたとしても、長男や次男等によつて充分営業をなし得た筈であり、そのため特に後記認定の売上及び利益等に影響を及ぼしたものとは認め難いばかりでなく、却つて次の事実が認められる。

すなわち、原告が昭和三年以来高知県安芸郡安田町の県道に面する店舗で自転車の小売業を営んでいること、昭和二七年当時原告営業の従業員が被告主張のとおり合計四名であつたこと、原告の世帯構成、生計費の負担者及びその財源が被告主張のとおりであること、原告の右店舗が約一五坪であることはいずれも当事者間に争いがない。而して前記乙第三号証、同第一四号証、原告本人尋問の結果を綜合すると、原告が卸売を始めたのは昭和二四年頃からであること、原告の店舗は右安田町における上位の商業区域にあること及び昭和二七年当時その店舗には新しい一〇余台の自転車並びに部分品が陳列されていたこと、原告は昭和二七年当時において少くとも中流の生活を営んでいたことの各事実が認められる。

以上の次第で原告の営業について利益をあげ得なかつた特殊の事情があつたとは認め難い。

以上認定の諸事実を綜合考慮すると、原告の昭和二七年度における営業がいわゆる赤字となるということは到底考えられないから原告備付にかかる各帳簿(甲第一号証、同第二ないし第七号証の各一、二、同第三五ないし第三八号証の各一、二)の売上高に関する記載は、実際の売上のうちかなりの部分が脱落しているものと考えざるを得ないから、これを原告主張の所得額算定の根拠にすることは適当でなく、他に確実な帳簿その他の算定資料のない以上、他の資料によつて間接に当該所得額を推計する所謂推計方式をとるより外致方がないと言うべきである。

証人富田順三の証言により真正に成立したと認められる乙第一三号証(昭和二七年分商工庶業等所得標準率表)並びに同証人の証言を綜合すれば、高松国税局においては、管内各税務官庁が税務行政を行なうに際し各納税者の事業所得金額を推計方式で算出すべき場合の便宜に供するため、各年度各業種目ごとに、それぞれ地域差、規模差等を充分考慮しつつ、統計学上のいわゆる無作為標本調査方式を用いて調査対象を選定し、これらに対して各実額調査を行ない、精度の高い資料を合計六〇標本位にわたつて普遍的に収集し、さらに統計学による処理を通じて異常資料部分を除外し、こうして整理された資料に基き、各業種目ごとの売上金額一〇〇円に対する売買差益(荒利益)及び所得金額(純利益)の平均値を算出し、これを表に作成して国税庁の承認を得たうえ、課税上売上高所得額等の推計の資料として使用していること及び乙第一三号証は高松国税局の調査による昭和二七年度の同局管内における諸営業の右売買差益及び所得金額等を示す右所得標準率表であることが認められる。しかして、同局管内の課税庁たる被告が課税対象たる所得額を算出するに当り、他に確実な帳簿その他の客観的資料のない場合に、右の如き方法で作成された前記所得標準率表に基いて当該所得額を算定することは合理的証拠を有する公正妥当なものと言うことが出来るから昭和二七年度において高松国税局管内の自転車業者は特殊事情のないかぎり一般に同表に記載する程度の荒利益をあげていたものと認むべきである。而して前掲乙第一三号証並びに証人富田順三の証言によれば、同局管内の昭和二七年度における自転車営業の売上金額一〇〇円に対する卸(普通卸)の荒利益は一二円、いわゆる中間卸の荒利益は八円、小売(部分品を含む)の荒利益は二六円であることが認められる(以下右各荒利益を単に標準率ともいう)。

よつて、被告主張の推計による所得の算定について判断する。前掲乙第三号証によれば、原告営業の卸及び小売の割合は、卸六割、小売四割であることが計算上明らかである。原告はその割合は卸七割、小売三割である旨主張し、原告本人は卸六割五分、小売三割五分である旨供述するが、右供述部分は右乙第三号証並びに弁論の全趣旨に照らして信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そこで右割合に基づき、卸及び小売の販売原価を算定すると、販売原価の合計額が五、〇〇五、九六九円であること前記のとおりであるから

卸売分販売価格 三、〇〇三、五八一円

小売分販売原価 二、〇〇二、三八八円

となること計算上明らかである。

ところで、右各販売原価から売上高を逆算認定するについて、前記標準率(売上高一〇〇円に対する荒利益すなわち中間卸については八円、小売(部分品を含む)については二六円)を販売原価一〇〇円に対する荒利益(売買差益)として算定すると、中間卸は八円、小売(部分品を含む)は三五円となること計算上明らかである。そこで右荒利益に基き原告の営業による昭和二七年度分の所得金額を算定すると、次のとおり合計六四三、〇五六円となる。

(1)  売上金額             五、九四七、〇九〇円

内訳、卸売高          三、二四三、八六七円

小売高          二、七〇三、二二三円

(2)  年初たな卸高             八七六、四七五円

(3)  仕入金額             四、九七三、一七九円

(4)  年末たな卸高             八四三、六八五円

(5)  差引販売原価((2) +(3) -(4) ) 五、〇〇五、九六九円

(6)  荒利益((1) -(5) )         九四一、一二一円

(7)  必要経費               二九八、〇六五円

(8)  所得金額((6) -(7) )        六四三、〇五六円

証人川村富恵の供述により真正に成立したと認める甲第一六号証、同伊藤喜代作の供述により真正に成立したと認める甲第一七号証の一、同佐野栄俊の供述により真正に成立したと認める甲第一八号証の一、渡辺喜衛次郎の供述により真正に成立したと認める甲第一九号証、乙第五号証、同岡本進の供述により真正に成立したと認める甲第二一号証の一、乙第六号証、同和泉大作の供述により真正に成立したと認める甲第二二号証の一、同野村弘の供述により真正に成立したと認める甲第二三号証、同中島良久の供述により真正に成立したと認める甲第二四号証、同東岡徳太郎の供述により真正に成立したと認める甲第二五号証、同高橋兵作の供述により真正に成立したと認める甲第二七号証の各記載中並びに証人伊藤喜代作、同中島良久、同佐野栄俊、同東岡徳太郎、同渡辺喜衛次郎、同野村弘、同岡本進、同和泉大作、川村富恵及び原告本人の各供述中には、昭和二七年当時における荒利益は前記標準率を下廻るものであつた旨の記載部分及び供述部分があるが、右各部分は精密な計算を経て得られたものとは認め難く、いわば前記各人の胸算用に基くものであつてみればこれらをもつて前記標準率を原告の営業に適用するについての妨げとはならない。又成立に争いのない甲第三四号証の一、二証人広田忠一の証言を綜合すると、原告の昭和二七年度分事業税の総所得金額は一五五、〇〇〇円と決定されていることが認められるけれども、その算定の根拠は原告備付の前記各帳簿に基いたものであることが明らかであるから、これまた右標準率適用の妨げとはならない。又前掲乙第一四号証によれば、原告の昭和二七年度分の所得金額が前年度である同二六年度の所得金額(九〇、〇〇〇円)より著しく増大していることが明らかであるが、かかる事実自体は直ちに昭和二七年度の所得金額の認定が過大であるとの結論を導くものでないことは勿論であつて、もし原告の前年度と本件係争年度の営業状態に関し特段の差異がなかつたとすれば(原告はむしろ本件係争年度は充分の利益を挙げ得なかつたと主張していること前記のとおりである)、本件にあらわれた資料によつてみるかぎり逆に前年度の課税が過少であつたものといわざるを得ない。

四、以上のとおりであるから、原告の昭和二七年度分の所得金額はその余の争点について判断するまでもなく既に六五六、三五六円(農業による所得金額一三、三〇〇円に営業による所得金額六四三、〇五六円を加えた額)となり、被告の認定した原告の同年度分総所得金額四五三、三〇〇円の決定は右金額をはるかに下廻るものであることが明らかであるから、被告の右決定は相当であつて何ら原告の所得を過大に認定した違法は存しないものというべきである。

よつて被告の右決定を違法とする原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 合田得太郎 島崎三郎 山口茂一)

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